Antonio with Students at Siena University

アントニオとシエナ大学の生徒達、2014

アントニオは、1993年に来日しました。英文学と英語教授法を専攻したトリノ大学卒業直後のことでした。大学では、ほんの気まぐれから日本語と日本文学も選択していました。卒業前に、英語の勉強のために滞在したロンドンで、トリノでは全く見かけることのなかった日本人と、初めて会う機会があり、何人かとの深い友情に恵まれました。イギリス滞在の、もう一つの理由は、イタリア語教師になる目的のためで、世界屈指レベルの、外国人への語学教育のスキルを学ぶためでもありました。

イギリスから帰国後のクリスマスの頃、日本への興味がリアルなものになっていることに気がつき、そこで生活してみたいとの願望が高まっていました。とはいえ、周囲の友人には、違うストーリーを語っていました。イタリアを離れる理由は、ベルルスコーニが政権をとったことだと。実際、アントニオにとって、ベルルスコーニは、全くの恥ずべき”事件”ではあったのですが、本当の理由の、日本と日本人への愛を、(イギリス風に?)シニカルなポーズの裏にぼやかしたわけです。

来日以来21年にわたって、東京で、イタリア語を教えてきました。この国の生活を楽しみ、数知れない友人を得ました。始まりは、美しい環境で知られるBell’Italiaでの仕事でした。現在は、早稲田エクステンションカレッジ、Piazza Italia (在高円寺。小さいが快適な、良い学校)、イタリア文化会館で、仕事をしています。

また、ときおり、日伊協会とPrimo Piano語学学校開催のイタリア文化セミナーの一環として、札幌での語学コースでも教えてきました。

東京のイタリア文化会館は、イタリア外務省運営の学校であり、ここで仕事することには、日本におけるイタリア文化大使としての意味もあり、とりわけ誇りを感じてもきました。また教師の仕事は、アントニオの両親、そして姉も共有するもので、天職だと信じています。

アントニオは、教えることと同じく、執筆業にも情熱を見いだしており、複数の語学テキスト、論文を執筆してきました。論文は、シエナ大学編としてイタリアでも出版されているものもあります。アントニオの別の情熱でもある写真撮影と、著述への愛をあわせて、フリーのフォトジャーナリストとしても、日本およびイタリアの雑誌に記事と写真を寄稿してきました。

この長い日本滞在のおりおり、アントニオは、4年にわたって、各3ヶ月間の、シエナ外国人大学での教師体験に恵まれました。これはイタリア文化会館とシエナ大学との、教師エクスチェンジプログラムによるもので、世界中からの生徒との関わりは、常に喜びに満ちた貴重な体験となり、またシエナの町自体の魅力とあいまって、アントニオにとって、シエナは、イタリアでの第2の故郷とも言える特別な場所になりました。このトスカーナのハートとも言えるシエナから、MyToscanaを発信できることは、アントニオにとって、特別にハッピーなことなのです!